研究課題
科研費

長尾雨山研究

研究代表者

松村 茂樹

文学部コミュニケーション文化学科 教授

研究種目
研究成果公開促進費(学術図書)
研究年度
2024年(令和6年)
松村茂樹

 

ボストン美術館蔵 呉昌碩「与古為徒」扁額

ボストン美術館蔵 呉昌碩「与古為徒」扁額

 近代の漢学者・長尾雨山(1864-1942)は、若き日の文豪・夏目漱石(1867-1916)の漢詩を添削し、日本美術の父・岡倉天心(1862-1913)に古銅器の銘文解読を依頼され、中国最後の文人・呉昌碩(1844-1927)と上海で隣人として交流した人物である。そして、米国ボストン美術館中国・日本美術部長であった岡倉天心より、1912年11月、同美術館鑑査委員を委嘱されると、その記念として呉昌碩に「与古為徒」扁額を揮毫してもらい、黒漆木額に仕立ててボストンに送り、日中米文化交流を現出させた。
 1903年12月〜1914年12月の上海滞在中は、当時日本の金港堂書籍株式会社と合弁していた商務印書館に勤務し、中国最初の整備された小学校教科書である『最新国文教科書』などを編纂した。また、上海の文人たちと交流し、上海詩壇の原点となった「徐園集」や、中国初の可能性がある「古書画展覧雅集」を主催し、その類まれなる人脈形成力により、瞿鴻禨、張元済等の上海を代表する文墨人士からなる一大人脈を構築した。
 そして、足かけ12年にわたる上海滞在から帰国すると、呉昌碩から学んだ当時最新の文墨趣味を日本に伝え、それに憧れる日本人士を「書画文墨趣味ネットワーク」で繋いだ。これに連なったのは、内藤湖南、狩野君山等の学界、富岡鉄斎、山本竟山等の書画文墨界のみならず、犬養木堂、小川簡斎等の政財界、上野有竹、本山松陰等の新聞出版界、さらには、呉昌碩、羅振玉等の中国人士に及んでおり、当時の行き過ぎた欧化風潮に対するアンチテーゼの役割も果たした。
 さらには、関西書道界の指導者として、当時「六朝書道」としてもてはやされた中国の碑学書法を盲信せず、篆書、隷書以外の草書、行書、楷書は、その典型を確立した王羲之書法で書き、日本書法の本質である王羲之書法の伝統を守った。
 拙著『長尾雨山研究』(本年10月刊行予定、研文出版)は、このような数々の功績を残した長尾雨山を、その文化的・社会的貢献という側面から研究しようとするものである。今回、2024年度科研費研究成果公開促進費(学術図書)に採択され、刊行できることになった。人間生活文化研究所、研究支援室をはじめ、お世話になった皆様に深く感謝申し上げます。

 

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