No.22
井原 あや
文学部日本文学科 准教授
1945年10月、GHQによる政策の一つとして〈女性解放〉が掲げられました。そして1946年には出版界でも、戦時下の用紙不足や言論統制により統廃合された女性雑誌の復刊・創刊が相次ぎます。このように、戦後の女性雑誌はGHQの政策である〈女性解放〉と共に再び歩み始めました。こうした背景を踏まえ、敗戦後の数年間に刊行された女性雑誌は、戦時下および戦前の規範や抑圧、体制から女性が解放され、社会に新たな一歩を踏み出す姿を示したものとして捉えられてきました。
確かに当時の女性雑誌からは、旧来の体制とは異なる新たな誌面を作り上げようとする姿勢が見て取れますが、本研究では、そこにもう少し光を当て、これらの誌面を通じて〈女性解放〉という理念がどのようなかたちで伝播し、それが当時の女性表象とどのような関係を切り結んでいったのか考えてみたいと思います。
具体的には、(1)戦後復刊・創刊した女性雑誌における〈女性解放〉言説の整理、(2)1950年前後の〈女子大生〉表象が内包するジェンダー構造の検討、(3)1950年前後の〈BG〉表象と文学表現の検討という3点を切り口に、本研究に取り組みます。(〈BG〉とは、当時、事務職に就く女性に対して用いられた〈ビジネスガール〉の略語です。以下、〈BG〉と記載します)
これらの切り口をもとに、女性雑誌に掲載された記事および文学作品を中心に検討します。たとえば、GHQによる検閲資料を所蔵するメリーランド大学図書館の「プランゲ文庫」(「ゴードン W・プランゲ文庫」)には、検閲を受けた女性雑誌も保管されています。この「プランゲ文庫」を用いて、〈女性解放〉をめぐる書き手の意識と検閲の痕跡を検討していきます。
かつて、女学校が女子の「中等教育機関」であったように、女性の教育機関や機会は限られていました。それが敗戦を経て、教育の場も労働の場も開かれていったのですが、学び・働くために歩み出した多くの女性たちがどのように表象されたのか、それらは本当に望んだ姿で具現化されたのか、戦後社会の幕開けを象徴する〈女性解放〉の内実を、文学表現を含め多層的に捉えることを目指したいと思います。以上の問いをもとに、ジェンダーの視点を通して検討・分析を行うことで、いまなお低いジェンダーギャップ指数の根底に何があるのか、その問題を過去から照射し、問い直すことが出来るのではないかと考えています。