研究課題
科研費

赤ちゃん審査会というメディア・イベント―写真帖が語る近代日本の児童保護と社会事業

研究代表者

大出 春江

人間関係学部 教授

研究種目
研究成果公開促進費(学術図書)
研究期間
(年度)
2021年(令和3年)2021年(令和3年)

 

 

 

 2021年度科研には基盤研究Bとともに、学術図書の出版助成を申請した。出版を予定している図書は論文と資料から構成されており、このうち第Ⅱ部の資料として収録するのは大阪府助産師会保管の『赤ちゃん審査会写真帖』(堺市産婆会 1928-1942)である。もともとこの資料はJSPS科研費17K04151により収集されたもので、現在、他のデジタル化されたデータとともに国立女性教育会館(NWEC)情報課が管理する女性データベースのアーカイブ資料として公開・活用できるように進めているところである。

 この「赤ちゃん審査会」というイベントが戦前期の大阪で行われていたことは、月刊誌『助産之栞』(緒方助産婦学会 1896-1944)のなかでその存在は知っていたのだが、写真帖が残されていることは全く知らなかった。そのため2016年12月に大阪府助産師会館でこの写真帖を手にとったときは旧い友人に出会った気分だった。

 「赤ちゃん審査会」とは、健康な子どもを一カ所に集め、医師が診査しその計測結果をもとに乳児を格付けし、優秀者を表彰するという形式をとるもので、調べた限りでは日本では大正初期から始まっている。開催場所は学校や公会堂といった公共的な場所が用いられたが、都市では大手百貨店が使われた。審査対象は乳児だけでなく1930(昭和5)年には文部省後援により朝日新聞社が「全日本健康児童表彰会」を主催し、戦時中も続いた。戦後は「赤ちゃんコンクール」、小学5年生対象の「全日本健康児童」表彰という名称で、NHKや厚生省、新聞社が主催し、1970年代末まで続いた。

 戦前日本では、「児童愛護運動」の名の下に、東京や大阪などの大都市だけでなく、北海道、和歌山など、さらには朝鮮や台湾でも行われた記録が残されている(『全日本児童愛護運動写真帖』)。堺市産婆会主催の「赤ちゃん審査会」が注目されるのは、写真帖というメディアによって記録され、3回分の欠号はあるものの1927(昭和2)年12月開催の第1回目から太平洋戦争に突入した1942(昭和17)年まで、10回分の記録が保管されていたことである。それにより「児童」に対するまなざしの経年的変化、すなわち「児童愛護」という理念から始まったイベントが、国家および軍隊によって「健児」「賢母」と称揚され「人的資源」の育成の場として活用されていく過程を定点観測の形で捉えることができる。
 

 全体は2部構成となっている。第Ⅰ部は4編の論文からなり、1章と2章は「乳児死亡率の防遏」という目標を掲げ、「健康」「衛生」概念と優生思想の普及という役割を担った赤ちゃん審査会について詳述する。後半の3章と4章は出産介助の主たる担い手だった産婆を中心に、当時の社会状況と産婆による政治運動とその展開を述べる。第Ⅱ部には資料として10回分の写真帖(帳)を掲載する予定である。

 

researchmap

CONTENTS