追 悼 文

大澤清二先生を偲ぶ

大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員
佐竹 隆

 私にとって大澤先生は、兄事する先輩であると同時に、それ以上に大きな存在でもあった。半世紀以上にわたる大澤先輩とのお付き合いは、東京大学教育学部の研究室で始まった。ゼミのある日は、ゼミ終了後に先輩と交わす議論が何よりの楽しみであった。議論の中では、マイケル・ファラデー、カール・バルト、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、南方熊楠などの名前が次々と登場した。先輩は、日頃の学習によって培われた幅広い知識を十分に咀嚼し、それを独自の論理で自在に展開された。その話術には強く魅了されたものである。私も負けじと、当時愛読していた桑原武夫、今西錦司、梅棹忠夫らの名を挙げながら懸命に応じ、気がつけば時の経つのも忘れて語り合っていた。議論は多様な学問領域から専門分野へと。そして最後には、研究者はエピゴーネンではなく、プロトタイプとなる研究者を目指さなければならない、という先輩の信念に行き着いた。そして、熱く語った理想や構想は、必ず自ら実行しなければならないと。その話は、いつも「やってください」という一言で締めくくられた。時には酒が入ると、さらに荒唐無稽とも思える壮大な話へと発展した。学生という立場だからこそ味わうことのできる、議論に酔いしれる喜びを教えていただき、心ゆくまで楽しませていただいた。あの頃に先輩が語られた理想や構想は、ご本人に言わせれば「まだまだ」と謙遜されるかもしれない。しかし、私には、その多くが実際に形となり、実現されたように思えてならない。そして、あのときに教えていただいた構想や志、そして研究者としての気概は、これからも持ち続けたいと思っている。それこそが、先輩から私に授けられた、何ものにも代えがたい贈り物であり、今なお私の心の支えとなっている。
 久しぶりに会おうと先輩からお誘いをいただき、2023年10月13日、上野駅で待ち合わせた。本当に久しぶりの再会であった。学生時代に戻ったかのように、ゆっくりと語り合える穏やかなひとときであった。上野界隈を散策した後、大学生協でカレーライスを味わった。久しぶりに口にするその味は、学生時代の記憶を鮮やかによみがえらせるのに十分であった。その折、先輩は闘病中であることや、毎月の連載を執筆中であることを話してくださった。それは6年間にわたり72回に及び、2025年3月に完結した連載である。私自身、季刊誌連載の締め切りに追われた経験があるだけに、毎月休むことなく書き続けることの厳しさは、推して知るべしであった。先輩と言葉を交わした最後は、2025年5月14日、叙勲の決定を知ってお祝いのメールをお送りした後、10分ほど電話でお話ししたときであった。それが、私にとって最後の会話となった。ご自宅にも伺いたいと思っていた。まだまだお聞きしたいことも、お話ししたいことも数多く残っていた。しかし、それはかなわなかった。振り返れば、ここ数年の先輩は、病魔と向き合いながらも、長年温めてこられた考えを一つひとつ文章として結実させ、最後の最後まで筆を執り続けられた。その歩みは、まさにご自身が語っておられた「プロトタイプの研究者」を体現した生涯であったように思う。
 もし、大澤先生と出会ってなかったら、私はどんな人生を歩んでいたのだろうか、と考えることがある。人生の節々で励まし、支えてくださった大澤先生は、私にとって生涯の恩人である。大澤先輩、ありがとうございました。安らかにお眠りください。 合掌

CONTENTS