
No.26
大平 栄子
人間生活文化研究所 特別研究員


Rabindranath Tagore(1863-1913)と岡倉天心は(1861-1941)は、19世紀末から20世紀初頭に活躍した、アジアを代表する作家であり思想家であるが、その思想の特色が大乗仏教の深い理解にあったことはこれまで論じられてこなかった。従って、タゴールのChandalikaと天心のThe White Foxにおける女性主人公が深い仏教理念を体現する挑戦的主体として描写される点で他の近代仏教文学とは異なる独創的な構想を持つ仏教文学であることは議論の俎上にのぼらなかった。
なぜこの時期のインドと日本にこうした特異かつ傑出した作品が誕生したのか。本研究は、普遍主義志向などの同時代の思潮を視野に入れつつ、当時のアジアの知識人を媒介していた大乗仏教と英語文献のネットワークを解明し、国際的な潮流の中に両者の思想と文学を位置づけてその意義を明らかにすることを目的としている。
タゴールの詩集Gitanjaliにみられるのはブラフマンへの熱烈な想いである。一方で、彼の他の詩、戯曲、エッセイの多くにみられるのは仏陀への帰依の念である。このような事情から彼の宗教観は折衷主義であると決めつけられ、彼の宗教観についての研究は手薄なままであった。こうした研究の現状を踏まえ、筆者は平成18年度から継続的に科研費をえて、本研究のキーワードとなる「タゴール」「アジア英語文学」「大乗仏教」に関する個別の研究を推進する中で、タゴールの代表的戯曲「チャンダリカ」に大乗仏教的思想の影響があることを明らかにすることができた。
2011年にカルカッタのアジア協会主催のタゴール生誕150周年記念国際学会において、筆者はタゴールと天心に共通する世界観について研究発表した折りに激しい否定的反応に戸惑ったが、それは軍国主義的思想をもつと考えられていた天心とタゴールを同列に扱うことへの拒否反応であったと理解したが、日本においても同様の毀誉褒貶はしばらく続いてきた。このような状況下で、仏教者としての天心への関心は乏しく、ましてや、彼の仏教文学を通してのタゴールへの影響を解明することは全く研究の視野にはいってこなかった。
本研究は、こうした考察を通じて、近代アジアに、従来見過ごされてきた文学と思想の有力な潮流とネットワークが存在したことを明らかにし、それがなお西洋の規範で動いている現代社会と文学の世界に対して、対抗言説的テクストとしての意義があることを明らかにし、今日共有されている欧米中心の「世界文学」の枠組みの改変を試みたいと考えている。