追 悼 文

大澤清二先生を偲んで

大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員
牟田 博光

 このたびの大澤清二先生の突然の訃報に接し、深い悲しみとともに、葬儀が済んだ今でもなお現実として受け止めきれない思いでおります。大学院生の頃より同年の友人として長くお付き合いさせていただいた者として、その喪失の大きさを痛感しています。
 私が大澤先生と出会ったのは大学院生の時でした。当時は研究論文を書くための統計計算を行うために、自らFORTRANでプログラムを書き、プログラムやデータを記録したパンチカードを何千枚も抱えて大型計算機センターに運んでバッチ処理するという、今では想像しにくい研究環境でした。基本的には文系である教育学研究科でそのような作業をする学生は限られており、専攻が異なっていても自然と互いに助け合い、統計分析の方法や解釈について議論を重ねる仲となりました。
 同年代であったこともあり、研究だけでなくよく一緒に遊びにも出かけました。特に冬には仲間と夜行列車に乗り、新潟の大学寮に泊まり込んでスキーを楽しんだことが思い出されます。大澤先生は運動能力が高く、スキーの腕前は抜群でした。背が高く筋肉質で、親分肌で面倒見が良く、男女を問わず多くの仲間から頼りにされる存在でした。
 大学院修了後はそれぞれ別の研究機関に進みましたが、良き勉強仲間、飲み仲間としての関係は続きました。仕事の面でもご縁がありました。文部科学省が2007年から2010年に実施した国際協力イニシアティブ教育協力拠点形成事業において、大澤先生は大妻女子大学を代表して「学校保健分野における国際協力モデルの構築と自立支援」プロジェクトを立ち上げ、ミャンマー、タイ、ネパールを対象に品質管理手法を用いた学校保健改善活動を展開されました。私は同事業の推進委員会委員長を務めており、先生の取り組みが高く評価されていく過程を間近で見ておりました。
 特にミャンマーでの活動では、多くの人的ネットワークを築かれました。私が2013年以降、JICAの仕事でミャンマー国教育省の政策顧問を務めた際には、先生が築かれたネットワークに大いに助けられました。ネピドーの教育省の執務室に、大澤先生と下田准教授が訪ねてきてくださった日のことは、今も鮮明に思い出されます。
 私が東京工業大学を定年退職しコンサルタント会社に移った後、大澤先生は大妻女子大学の副学長、人間生活文化研究所所長としてご活躍されていましたが、私を特別研究員として迎えてくださいました。大学に籍を置くことで科研費の申請が可能となり、ミャンマーとの研究交流を継続できたことは、先生のお心遣いの賜物でした。
 大澤先生は、大妻女子大学の発展、関連学会の振興、そして東南アジア諸国の学校保健改善に多大な貢献をされ、その功績は瑞宝中綬章の叙勲にも表れています。その喪失は計り知れません。しかし、先生が残された業績と、私たちの心に刻まれた温かな記憶は、これからも確かに生き続けるものと信じています。
 先生が長年にわたり尽力されてきた教育・研究活動、そして人間生活文化研究所の発展への貢献を、微力ながら今後も受け継いでいきたいと思います。大澤先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

大澤先生追悼文

大澤先生がミャンマー教育省(ネピドー)を訪問された折の一枚。
左から、牟田(筆者)、大澤先生、コ・レイ・ウイン教育省課長(後に局長)。
窓の外にはバナナの木が揺れ、乾季の穏やかな風が吹き抜ける。

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