研究課題
科研費

近世後期の⽇朝外交―幕府対外政策の統合的理解―

研究代表者

酒井 雅代

比較文化学部 専任講師

研究種目
若手研究
研究期間
(年度)
2023年(令和5年)2026年(令和8年)
酒井雅代

 

 日本と韓国の歴史を眺めると、江戸時代には朝鮮王朝から幕府へいわゆる朝鮮通信使とよばれる外交使節が送られるなど、両国が「友好・対等」な関係にあったものが、幕末維新を経て急速に悪化し、「非友好・支配/従属」の関係に移ってしまったように見えます。
 研究史上も19世紀は、幕府の対外政策の関心が欧米列強へと移り、日朝外交への関心が失われた時期として描かれてきました。通信使に代表される国家間の対等外交の行為も1811年を最後に行われなくなり、しだいに日本で征韓論が台頭していき、明治新政府のもとで支配と従属の関係へと一気に「転回」したという見立てです。
 しかし現実には、幕末期まで継続的に、訳官使と呼ばれる外交使節団が朝鮮から対馬まで派遣されていましたし、通信使についても、幕府は1811年以後も来聘を継続すべく、対馬藩に外交交渉を命じています。また、幕末維新後、元対馬藩の外交役人の中には引き続き日朝外交にたずさわる者もいました。
 このように、両国間の実際の外交折衝を具体的に見てみると、単なる「転回」のみではとらえられない実態がいくつも存在しています。それにもかかわらず、これまでの研究は中央政府の政治史を中心に検討されたため、これらの歴史的事実に目が向けられることはほとんどありませんでした。
 19世紀の日朝外交はいかなるものであったのか。それを解明するためには、まず、実際の日朝間の外交事案ひとつひとつを掘り起こす必要があります。日朝の「現場」における日常的な外交折衝を明らかにし、それを幕府や対馬藩、朝鮮王朝といった「国家」の思惑それぞれと照らし合わせながら、総合的に日朝外交の様相を描きます。
 さらに、そこで明らかにした日朝外交の姿を、日本の対外政策全体のなかに位置づけていきます。江戸時代には、日本の外交権を幕府が掌握しながらも、日朝外交の実務は対馬藩に委ねられていました。しかし19世紀に入ると、幕府のうちに、朝鮮・北方(蝦夷地)・長崎を対象として対外政策を包括的に専管する層が現れはじめます。このような幕府側の動向にも留意しながら検討していきます。
 このようにして19世紀の日朝外交を再構成することを通じて、従来の二項対立的な日朝関係の見方―「友好・対等」から「非友好・支配/従属」への急激な「転回」―からの脱却を図るとともに、日本の対外政策の近世/近代の連続性と非連続性を統合的に理解したいと考えています。

 

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